平安時代に天台宗の寺として雪山峰和尚が現在地の西北方八百メートルの山中に草創し、西明寺と号したと伝わる。
山津波や火災に遭い中絶し、文安二年(一四四五)に駕山慶大和尚が開山となり、保科宝山宗珠大居士が開基として現在地の西方二百メートルの地に再興し、寺号も真慶寺と改まった。その後、火災等により衰微したが、寛永十四年(一六三七)に、高遠町勝間の龍勝寺第十三世明窓策永大和尚を請じて再興し現在に至る。本尊は延命地蔵菩薩である。
第四世代に回録の災に遭ったが、六世代に本堂等諸堂を再建し、明治以後も数次に亘って伽藍の整備造営を務めてきた。十七世代に中央道開通に際し、墓地を移転し、大聖観世音菩薩(宮田観音)を建立し、五月五日を結縁の日と定め、祈祷法要や子供相撲大会を行っている。
境内及び伽藍内には客佛として、宮田氏所縁と伝わる釈迦堂(源洞山瑞音寺)の本尊釈迦牟尼佛立像及び脇佛・近在した十王堂の本尊地蔵菩薩立像及び石造十王像・円通庵境内より移転した宝筐塔を祀っている。寺宝として栴檀乾闥婆大神王(木彫彩色秘仏)・柳瓶観音軸・御開山讃達磨画・御開山時代の出山釈迦画がある。守屋貞治刻の観音像が二体あり境内石段脇に静坐す。